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思いは言葉に。


このサイトのページにそう書いてあった。

心底そう思う。ツイッターを始めた頃からだろうか、俺はどれだけの思いを形にせぬまま捨ててきたのだろう。インターネットの時代の流れに身を任せた故の結果、と言えば言い訳にしか過ぎないなとも思う。言葉を残すのは大事なことだ。自分にとって。伝えたいという気持ちを尊べ。


モヤモヤを赤裸々に、ありのままに言葉にしよう。自分の言葉で。読み手は無視して。


美大生に馬鹿にされるような音楽を演ってきたと胸を張って彼は言う。

俺は胸を張って、そんな奴の音楽を好きだと主張できない。

大前提として、好きという言葉に内包できぬ。奴の音楽から与えられた想いは、もっと複雑で、汚い。好きという言葉ではどうもしっくりこない。呪いなんだ。恥ずかしいわけではない、と思う。


中2の夏にブルーハーツに出会って、人生が変わった。俺の人間が変わった。全ての原点であり、胸を張って好きだと言える。宝物だ。


高1になって、この好きを広げたいと思った。まだ見ぬ世界に飛び込みたかった。巨大なプレゼント袋の中から、一つ素敵な宝物を取り出して、感銘を受けて、まだまだたくさんの宝物が袋の中には眠っているのだろうと、期待に胸を躍らせて、手さぐりを始めたんだ。

そしてすぐに出会ったのがゴイステだった。夢中で聴いた。少し前の世代で流行った青春パンクという音楽にハマった。ガガガSPや、スタンスパンクスサンボマスターを聴いた。


銀杏BOYZで狂ってしまった。俺の甘っちょろい苦悩、煩悩…価値観、感性の全てを、丸ごと引っ張り出されて、ドブに捨てられて、ドロドロに汚されてからまた身体の中に強引に捻じ込まれたような、そんな衝撃だった。


ゴイステの人達の今やってるバンド、その程度の認識だった。音が、クソでかかった。まず、それが衝撃だった。楽器の音量がデカすぎて、何歌ってんのかよくわからん。なんて汚い声だ。本当に同じ人なのか?めちゃくちゃだ。耳が、頭がおかしくなりそうだった。


涙が溢れた。今も溢れた。何故だろう。全然あったかくない。ロックンロールじゃない。すごく苦しかった。死にたくないのに飛び降りたかった。よくわからない衝動が俺を支配した。ひたすらに叫びたかった。負の感情、だったと思う。全然自分のためにならなくて、でも何より生々しくて、こんなもん気づかない方が幸せで、手遅れで、どう足掻いてももう無視できなくて、それでもまだマシだった、今思えば。歳をとるごとに、じわじわと、侵食されていった。傷口は拡がり続けた。気を抜いた頃に蘇る。一瞬で駄目になる。そんな自分を愛してしまっていた。そうされていた。俺のせいじゃない。奴が悪い。殺したかった。そう思う自分もどんどん嫌いになった。


初めてライブを見た。スキー場での野外フェスだった。リハで骨折したと、奴は松葉杖で登場した。そんなナリで暴れに暴れて、ドラムセットに突っ込んだりしてて、遠目に見ていたが、圧倒された。同時に感動した。何故だろう。この時は、ひたすらに尊い存在に見えた。感謝しかなかった。


震災にかこつけて東北ツアーが始まった。何とかチケットを入手して、仙台まで観に行った。狭い箱だった。満員電車がクラッシュしたような、もの凄い熱量でファンが交錯していた。俺もその熱に呑まれた。というより、最高の条件下で、奴への想いが、吐き出せた。目を血走らせて、奴に罵詈雑言をぶつけていた。手にナイフを持っていたならば、迷いなくズタズタに刺し殺してしまいそうな勢いで、揉みくちゃになりながら、叫んだ。実際に叫んでいたし、全身で、俺で、叫んだ。涙と鼻水と汗でぐしゃぐしゃになりながら、1mmでも近づこうと手を伸ばし続けた。あのライブが忘れられない。彼等もまた、血みどろな時代だった。実際に流血していたし、魂が血しぶきをあげていた。限界をとうに超えて、音を出して、生を性をぶつけられた。実感があった。頭を真っ白にして、過呼吸になりながら、快楽のためではなく、本能で、生存競争に生き残るためのセックスをしているような、そんなものがあれば、多分そんなような、ライブだった。


俺が銀杏に魅せられた全てがそこにあった。どうしようもなく生々しくも強烈な人間という種のフェロモンを感じた。共食いである。


しかし。もう、彼等はいない。奴は、変わった。落ち着いた。踏み外して底抜けた地獄から這い上がった。元来彼が持っていた、お茶目でキュートで、ロマンチストで、メルヘンチックな人柄と、音楽と恋への純粋なキラキラとした想いと、どす黒くもまっすぐな愛情だけが残った。幸せなんだと思う。否、ずっとそうだったとも思う。でも、どうしようもなさが消えてしまった。


かくして、ちょっとDTをメンヘラをこじらせていただけの少年少女は、銀杏と出会い、自覚なき本能を呼び覚まし、歪み、呪われ、彼の音楽に触れる度にその本能が、記憶が内から引きずりだされるようになってしまった。少年少女は未だに救われず、向き合うことを諦めたり、他の道を見つけたり、呪われたまま大人になっている。


そんな人達だけが真の銀杏好き、等というつもりは毛頭ない。事実として、そういう層がいて、もう、あの頃の銀杏を求めるべきではないし、じゃあ、どこに吐き出せばいいんだよ。ずるいよ。自分で発信するしかないんだよ。もう、銀杏のライブは吐き出す場所ではないんだよ。純粋に、彼等の音楽を享受する場所なんだよ。生きてて良かったとか、楽しかったとか、良い演奏だったって、ライブだったって、プラスの感情を生み出す場所なんだよ。わかっているのに、どこかで期待してしまうから、ずぶずぶと尾を引いて、頃合いをつけた頃に、またライブ会場に足を運んでしまう。呪いは解けない。


ちゃんと歌うようになった。メンバー変わって演奏上手くなった。丁寧にライブをするようになった。客への感謝が伝わる。いらねえ。求めてない。でも、それでも、純粋に銀杏の音楽を好きなのも勿論あるから、そのために行くよ。9割の本音であり建前で行くよ。

昔の曲やって、盛り上がって、あの頃に戻ったって?いいなあ、過去にできてんだよ。ちゃんと現在を生きてる証だよ。


靖子ちゃんも同じ穴のムジナだったと思う。彼女は呪いを、自分の形にして、吐き出したんだ。発信したんだ。だから、胸を張って生きてる。それでも呪いは消えない。消えなくとも、毎日向き合ってる。逃げずに、戦っている。大事なものもちゃんと視えている。

尊敬する。素敵だ。美しい。力強い。奴と違って、とても優しい人だ。ちゃんと一人一人を見てくれてる。同情じゃない。目を見て、聞いてくれるんだ。だから、呪いなんかかけられない。奴以上の力強さで、生々しくも、あたたかい。


奴の頭の中はいつだって、一人の女の子のことなんだ。それだけなんだ。同族嫌悪にも似ている。

なんて身勝手だ。清々しい。どこぞの誰の世界も変えたいなんて、思っている筈ない。ただ、あのコの世界を変えたいんだ。

男は大体そうだ。俺だってそうだ。だから、聴いてても、歌っても、浮かぶのは一人の女の子のことなんだ。好きだよって思う。

それすらもぶち壊す、純粋無垢な音楽への愛があるから、ロックンロールは最高なんだ。


好きだよ。ごめんね。

好きだよ。どうしようもなく。

大事すぎて。正しくは、失いたくなくて。


俺は俺を表現したいのか近頃よくわからなくなってきてしまった。

衝動が薄れている。気がする。仕方ないのかな。

どうしよう。参った。

呪いも、解けてきているのかもしれない。


それでも、涙が溢れたのは何故だろう。

ほんの少し、安心してしまった。


君の世界を変えたい。